【第3回】嫉妬とやきもち

エト子の愛の掟12ヶ条

嫉妬とやきもちとは愛に裏打ちされた悶絶。愛あればこそ愛すればこその苦悩だと言いたいところだけどそんな文学的なおとぎ話は通用しないわね。
私達の人生に嫉妬とやきもちといった悲哀は欲しくない。私達が体験するに相応しいのはこの人生での限りなき歓喜!限りなき豊かさ!限りなき極上の至福の時!私達はその素晴らしさを味わう為に生まれてきた。
この世は陰陽、光と影。表と裏があるのなら力づくでもコインの表を出し先ず先手を打つ!物事が動く前に気分を先取りする!人生の苦悩から抜け出したければ、世の不条理を感じてるのなら受け身はやめて攻めの体勢へと概念をひっくり返そう!
感情はあなたの現実体験を招き入れる器。あなたは常に今の感情にぴったりマッチした現実をたぐり寄せている。心地良い感情からは心地良い現実を、心地悪い感情からは心地悪い現実をたぐり寄せ体験している。感情は現実体験のコントローラーであり明日を予期させるコンパス。嫉妬に至るまでの経緯にはそれを招き入れる感情のベースがある。
感情は大きく分けて心地良い感情と心地悪い感情の2つがある。嫉妬は様々な心地悪い感情を含めた集大成と言っても過言ではない。この心地悪い感情の全ては自己否定から発生する。そして自分への信頼の欠如、信頼の欠如から発生する疑念、疑念から発生する非難、非難から発生する憎しみ、憎しみから発生する嫉妬へと負の感情の連鎖は気づきがなければ永遠に繰り返す。嫉妬を抱き続けるとそれはやがて憂鬱となる。感情を侮ってはならない。心地悪い感情は心地悪い現実をたぐり寄せ負のサイクルへと陥ってしまう。
私達は時として謙虚さと自己否定を混同してしまう。謙虚は美徳。自己否定は悪業。自己否定な感情はそれを裏付ける現実を視覚化させ体験させる。そのまやかしにまんまと騙されてはならない。
そもそも自己否定とは自分との関係性が良好でないところからくる悪い癖なのだ。自分との良好な関係性とは人との関係性と同じで自分と心地良い間柄を保つこと。それはまるで自分の中に唯一の親友がいる感覚。その友への思いが心地良い思いであり、その友がいる心の中が心地良い感情であること。負の感情からの不本意な現実から抜け出すには心地良い感情を追い求めなければならない。雨の日も風の日も辛い時も苦しい時も絶えずそれでも尚心地良い感情に自らを引っ張り上げて何としても心地良い感情で守ってあげなくてはならない。これが良好な関係性ということ。これこそが現状を打破する唯一の手段。これ以外方法は無い。
感情は油断すると負の感情に落ちてしまう。でもその心地悪い感情が危険のサイン。勢いがつく前に心地良い感情を追求すればいい。それは状況を回避させ改善への道標となる。そして心地良い感情はあなたの望みを現実のものとして実現させる力を持ち合わす。
自己否定は決して持ち込んではならない!シンプルに自分という友への心地良い思いを抱き望む自分の感情をたぐり寄せしっかりと味わってみる。それは本のページをめくる様に一ページごとに実現へと向かう。それは珠玉の実の薄皮を一枚づつ剥がす様に珠玉の光が見えてくる。喜びは喜びの感情にいるから喜びの現実を体験する。豊かさは豊かさの感情にいるから豊かさの体験をする。感情はあなたが存在している次元を示しこれからの行き先を予期させる。そして感情は自分という親友と交わした約束の地へと誘う。
あなたは孤独ではない!あなたは親友といつも一緒だ!感情という羅針盤を使って突き進むのよ!まだ見たことのない極上の至福の時、約束の地へ友と共に!


jealousy
エト子の「愛の掟」其の三




江藤さんプロフィール


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