【第8回】不倫という純愛

エト子の愛の掟12ヶ条

不倫はね、特殊な性的嗜好であって通常の恋愛とは一線を画するわね。いけないことと知りながら押さえきれない衝動から手を出してしまうその危うさに薬中やアル中に似た病的な不憫さを感じてしまうのはあながち間違ってはいないからだろう。
不倫をしている人に感じるどこか捨て身のやるせなさは自分では制御しきれない何かが心の奥底にきっとある。人はリスクを感じるとそこは直感的に避けるのが常。そこをあえて火中に身を投じるなんて尋常ではない振る舞いだわ。 モラルに対して、より一層の厳しさを増す昨今において社会的な裁きを恐れず、はたまた決して逃れることのできない因果応報を物ともしないで、道ならぬ恋に突っ走るそのエネルギーはどこからくるの?
人の不幸の上に自分の幸せは成立しないと知りつつも、わざわざ面倒な人生を選ぶのは何の為?
身をやつすことへのあえての挑戦?それとも秘密を持つことへの快感?
正直な話し、相手がいるとかSEXするとかって、あったらいいけど無くてもいい、その程度のこと。リスクを冒してまで求めるほどのものでもない。
不倫は甚大なリスクを伴う。そこに相手を思う愛があるならリスクを負わせる不倫はしない。バレたら最後、ネットに書き込まれたら人生は終了する。デジタルタトゥーは永遠に消えない。そんなリスクしかない不倫に陥るのは正常ではない。本当の自分ではない。その違和感は何かに取り憑かれた様な、何かに囚われた様な、そして何かにもがき苦しんでいる精一杯の抵抗の様に見える。
破滅か悶絶か!?
何れにしてもそこには根深い精神のアンバランスがあって、それ故の感情の異常さが不倫という性的倒錯、異常な性的行動を引き起こしているに違いない。
そう!当事者の目の奥にある不憫さはここにある。その目は夜中に走るバイクの少年と同じ目。自分が何者かを知りたくて、自分は何かになりたくて、でも見つからない掴めない心もとない自分に対する細やかな抵抗。求めるものは既に自分の中にあるけれど、低い位置からその道の先は見えないもの。立ち位置を変え、高いとこから眺めてみるとそれまで見えなかったものが見えてくる。そこからの眺めは最高!高い視点は景色を変え、進むべき道は見えてくる。
人は自分には無い、足りないと感じるものが欲しくなる。素敵ではないと思う女性は素敵なバッグを望み、カッコよくないと思う男性はカッコいい車を望む。恋愛もまた同じこと。誰かを好きになること、誰かを求めるそのきっかけは自分に対する愛の不足感。愛がなく寂しいと思う欠落感がその欲求を生み出す。そして不倫は母性や父性に対する渇望や喪失感、劣等感が強烈な欲求となって現れた性的倒錯という異常行動。
人は誰もが自分を完璧だと認めることができず、ある程度の自己否定を持ち合わせる。不倫はその自己否定を軽減させる穴埋めでありまた逆に自分を責める自虐的行為でもある。でもそれは全て本人も気づかない自分への愛の探求。自分自身を認めたくて認められたくて、愛したくて愛されたくて。不器用ながらもそのひたむきな姿は自分への純愛。
これを不倫という純愛と呼ぶべきか!?
自分は何者なのか?自分は何になりたいのか?自分はどうしたらいいのかが掴めないが故の異常な行動。彼らの心の奥底には強烈な自己否定からくるトラウマがある。そのかさぶたを剥ぐ為にその傷を癒す為に、ある意味仇討ち的な穴埋めを良しとされない形で起こしてしまう。
他では穴埋めできないほどにその傷は深い。ただし、谷底にいるままでは陽の目を見ることはできない。終わった事は無かった事にして大手を振って陽の当たる場所へ登るのだ!
そこからの眺めはきっと目が覚めるほど素晴らしい!


love
エト子の「愛の掟」其の八




江藤さんプロフィール


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